由緒・祭神
日本最古の神明宮造り
仁科神明宮は杉や桧の巨木に囲まれ神聖で静かな空間
当社はむかし皇大神宮御領であった仁科
その創始年代は明らかではありませんが、神宮雑例集によると後冷泉天皇の永正年にはじめて 信濃に御厨が建立されていた記事が見えるので、この時にはすでに建立されていた事のではないかと考えられます。
神宮雑書信濃御厨の記事(建久3年8月註進)にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名がつらねており、しかも仁科御厨にかぎり、「件御厨往古建立也」と注記してあるので、信濃でも一番古いことが伺われます。
古族仁科氏が御厨に拠り、400年の長い間、終始その神役にしたがい、又神明宮に奉仕して神事をおこたりませんでしたが、天正10年仁科氏が滅びてからは、松本藩主小笠原貞慶が神領として朱印15石を寄進し、以後松本藩主代々の祈願所として、寛永14年からは黒印23石に改められ、かつ又徐地として村内ならびに一之瀬(八坂村) 堀之内(白馬)、借馬、野口(いずれも大町市)等に田畑山林、又青木湖一面等を有し松本藩中最も多くの神領を保って明治維新を迎えました。